Credit: Johan Persson

The Breach タイトル
Miho’s review in Japanese  

3
Reviewer's rating

数々の賞を獲得しているアメリカ・ケンタッキー州生まれの脚本家、ナオミ・ウォリスの新芝居、「ブリーチ(裂け目)」がハムステッド劇場で初上演された。「ブリーチ」は権力、貧困、有害な男らしさ(toxic masculinity)、そしてそれらが生み出す犠牲者達をテーマにした芝居だ。ケンタッキー州に住む4人のティーンエイジャー達が繰り広げる話で、極貧家庭・ディグス家の姉弟、ジュードとアクトン、そして彼らと同じ学校に通う二人の男子生徒、ホークとフレインが登場人物だ。

父親の死後、母親の収入だけでは光熱費が払えないディグス家では、ジュードがアルバイトをしながら生計を助けている。一方、ホークは大企業を経営する富豪の息子で、フレインはホークの相棒だ。アクトンとホークとフレインは、いつも一緒にいるがその関係は複雑だ。成績優秀だがいじめられっ子のアクトンは、ホークとフレインの勉強を肩代わりする代わりに彼らにいじめっ子達から守ってもらっている。そしてこの搾取的な契約関係は、のちにフレインとホークがジュードをレイプするという暗黒に彼らを導いていく。。。

舞台は4人がティーンエイジャーだった1977年と、彼らが大人になった1991年で、この2つの時代が交互に現れる。衝撃的なテーマ、そしてウォリスによる生き生きとした言葉から成り立つ台本にも拘わらず、第1幕はペースが遅く興味を保つことができなかった。しかし第2幕に入ると、アクトンの自殺をきっかけに14年後に再開したジュード、ホーク、フレインがレイプの成り行きの詳細を話しだし、段々ぞくぞくするような興奮に包まれていった。暴行のショックがそれぞれ4人に与えた影響が明らかになる過程も興味深い。

77年のジュード役、シャノン・ターベットと91年のジュード役、ジャスミン・ブラックボローは共にジュードの精神的強さを巧みに演じていた。エリック・クラプトン作曲、『愛しのレイラ』に乗せたターベットのエネルギッシュなダンスは困難に打ち勝つジュードの不屈の精神を良く表していた。またブラックボローは、ヤングアダルトとして落ち着いたジュードの中に潜む強さを、説得力ある演技で表現していた。しかしながら、両者ともジュードが経験したであろう感情の激しい浮き沈みを全くと言っていいほど表わさなかった。加えて、17才のジュードは高校のプロム・クイーンにも拘わらず、その華やかさが全く出ていなかった。大人になってからのホークを演じたトム・ルイスは、不道徳な金持ちの息子としてのしょうがなさを、時折きらりと光り輝く演技で表現したものの、やはり殆どの彼の演技にも感情が現れていなかった。この俳優たちの無感情さは悲痛なテーマを扱う「ブリーチ」にはふさわしくないのではないか。もしかするとそれはサラ・フランクマンの演出によるものなのかもしれない。ナオミ・ドーソンのデザインした暗くて無味乾燥な舞台セットも無感情な雰囲気を増長していた。

ウォリスの劇自体は強力なメッセージを持っているにも拘らず、この舞台作品はそれを十分に伝えることができていないと感じたのは私だけではないと思う

文・内田美穂